デナシオン スペイン取材顛末記2
…もとい、始末記(9月24日)

初めてごらんになる方は「スペイン取材顛末記1 22〜23日・出発の日」からどうぞ。

9月24日(金)

パドック村があるのは、町の刑務所の並び。どうやら今は使っていないようだが高い壁や鉄条網が生々しい。
セクションはそこから幹線道路の下をくぐったところから始まっていた。なんだか多摩川で世界選手権をやるような感じである。

   
     


これがその、刑務所跡 ↑

今日は女子世界選手権の日。世界戦には初参加となる萩原真理子、西村亜弥、高橋摩耶が準備を進めていた。

     
ご存じと思うが西村亜弥は旧姓萩原で、真理子選手のお姉さん。女性として日本で初めて国際B級になった選手である。二人はスタート前に「胃が痛い」と 言ってキャベジンを飲んでいた。彼女たちもいろいろあるのだろう。
   

僕はこの日の朝ご飯は、ホテルで食べた。といっても、フランスパン、クロワッサン、お菓子のようなカリカリの冷たいトーストなどのパンだけの盛り合わ せ。卵もハムもなく、これをジュースで流し込む。水のペットボトルは買ったが、結果的に他には何も食べないまま、1日中取材をすることとなった。
バイクがないため取材は全て歩き。朝方はひんやりしている空気が日中はカンカン照りになり、空には雲の一片もない。おそらく気温は45度前後だったので はないだろうか。

その中で日本の女性陣は素晴らしいトライを展開したが、この大会、少し変なルール。
10セクション2ラップをして、その後トップ10で4つのセクションを走り直して決勝戦を行うのだ。この時それまでの減点はチャラになってしまうらしい。
このルールが事前に選手にもちゃんと伝わっていない。決勝戦はどのセクションでやるの?何時から?え、2,3,9,10でやるの?最後のライダーがゴールしてから30分後スタート?最後のライダーって誰?それって何時?それで何ラップするの?
オブザーバーに聞いてもわからないので、そのたびにFIMトライアル委員長のイグナシオ・ベルネダ氏をつかまえて聞かなければいけない。この日徒歩で取材をせざるを得なかった僕は、結果決勝を1ラップと勘違いして本来撮れたはずのセクションをいくつか逃がしてしまった。
だが結果は素晴らしかった。萩原が2位、西村5位、高橋28位。とても世界戦初挑戦とは思えぬ成績である。この異国で闘ったことを思え ば、まさに大賞賛に値する。
     
     


さあさあ、試合はめでたく終わった。早く帰ってとにかくメシを食おう。
ところがそれからぞろぞろと始まったのが、選手入場式。そうだ、デ・ナシオンはそういうのがあったんだよね。

     

当然のように予定の時間から大幅に遅れて始まった入場式。女子、男子のライダーも全て順番に壇上に登るため時間がかかる。照明のない舞台での撮影が 限界に達した頃、ようやく終了。僕は撮影から解放された。大急ぎでホテルに戻り、近くのスーパーで明日の朝と昼の食事と水を仕入れんと欲す。ところがやっぱり間に合わなかった。

近くを歩いてみたが、売っていそうな店は無し。しかたなく、近くのレストランで晩飯だけでも食す。メニューがわからないので「パスタかピザ!スパゲ ティーはないか」と聞いたらなんと「ある」と言う。「それをくれ!」と言ったはいいが、出てきたのは、うどんののびたみたいなスパゲティー。最低だった。
栄養素と思って胃に放り込み、ホテルで電池類の充電をして倒れるように寝た。(顛末記3に続く)


スペイン取材顛末記1 22〜23日・出発の日
スペイン取材顛末記3  25日・レディースデナシオンの日
スペイン取材顛末記4  26日・男性 デ・ナシオンの日

 
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