デナシオン スペイン取材顛末記4
…しつこいけど、始末記(9月26日)
初めてご覧になる方はこちらからどうぞ
スペイン取材顛末記1 22〜23日・出発の日
スペイン取材顛末記2  24日・レディースワールドカップの日
スペイン取材顛末記3  25日・レディース デ・ナシオンの日
9月26日(日)


コルドバに作られたセクションは乾いた岩とヒルクライムばかり。泥や川は一切なく、これでもかというくらいスペインパターン。
日本チームは藤波、黒山はともかく、小川、田中は借り物のバイクの調整に追われて練習も不十分。ある意味結果は始まる前から決まっているとも思えた。

                  (ヘルメットのメーカーは違えど、お揃いのロゴ)      
 

かつてのデ・ナシオンでどうしても勝てない日本チームは、このスペイン大会に向けてひとつの作戦を立てた。これまでのチーム戦にこだわらず、全日本や世 界戦のように個人単位で闘うというのである。仲間のトライを見たり待ったりせず、勝手に走る。その方が個人の実力を遺憾なく発揮できるのではないか、と いう作戦であった。
しかし、ということは4人がバラバラになることもあるわけで、げっ!それじゃ撮れないジャン!!
黒山選手は「まあ、ある意味これは『生野さん殺し作戦』とでも名付けましょうか」と言って笑った。
       
       

18セクション2ラップ。男子デ・ナシオンのセクションとコースはとてつもなくハードだった。
加えてあいかわらずの嫌がらせのような太陽と乾いた空気。

(←それまでのライダーのうち、黒山だけが上まで上れたセクション。だが最後に転倒。クラッチホースが壊れた。)

さすがにメインイベントのこの日は観客も沢山いて、借りたバイクを盗まれないようにも気をつけなければならない。
僕は必死に日本チームを追うも、同時にスペインやイギリスの走りも撮らなくてはならない。待っているうちに日本チームを見失い必死に追いかけたが、ミス コースして迷子になりかかることもしばしば。曲がり角の目印のテープを、観客の子供達が持って行ってしまうのだ。
(↑小川選手)       (↓田中選手煙幕を張る…じゃなくて、田中選手転倒。砂ぼこりが、ハンパじゃない)
しかもカメラが突然壊れた。一切の操作を受け付けなくなってしまったのだ。大あわてでパドックに戻り、予備のカメラと変える。これはバイクがなければ不可能な事。バイクの存在はありがたかったが、ハードなコースで体力が落ちるに連れ僕はそのパワーに振り回され始めた。
考えてみれば、これで3日連続炎天下を走り回っているのである。相手は世界のトップライダー。体力は限界に近づいていた。日本チームはやはりばらけて、 藤波選手が一人で先を走り出していた。それを追って一番奥の第10から長距離を移動する途中、ついに僕はマシンを抑えきれなくなって、転倒してしまった。
まずカメラを見る。よし、フードの一部が割れただけである。体は?左腕にかなり広範囲な擦り傷。ズボンも破けてしまった。立ち上がってバイクをチェック。大丈夫、動く。再スタートして11と12は飛ばして13セクション。着いたときちょうど藤波選手が入るところであった。あわててマシンを止めるが、すで に支える力はなくそのまま立ちゴケ。藤波選手は僕の哀れな様子を見て、インするのを少し待ってくれたそうである。
(←そ、その笑顔は?もしかして、立ちゴケ見てた?)


見事にクリーンでアウトする藤波を撮影してから、ふと気がついた。
ズボンが破けたと言うことは、ポケットに入れておいたレンタカーのキーは?
あった。破けたポケットから落ちそうになりながら、なんとかぶら下がっていてくれた。もしこれがなくなったら、今夜はあの刑務所にでも泊まるしかなかっ たところだ。

             

そしてデ・ナシオンは、終わった。日本チームはスペインに大きく離され、イギリスにも敗れて3位であった。
しかしそこに至るまでのドラマは、しっかり映像に収めることが出来た。今日の僕のスペインとの戦いはまあ引き分けといったところだったろうか。(…??)
今回奥のセクションにはスペインのテレビ局がイントレを組み、中継カメラを何台も、そしてもてぎを撮ったNHKのような巨大なクレーンカメラまで設営し て、大会を収録していた。ところがそれらのカメラは2ラップ目に入ると早くも撤収されていた。いったい彼らは、大金を投じて大会の何を撮ったのだろう か。選手が走ったということだけではないか。

   
(←この写真はただのカットです。本文とは関係ありません…が、、、健ちゃんがセクションインしたときに邪魔になったクルーです…)    
                   

試合後、プレスルーム並びの店に倒れ込み、とりあえずビールを一杯。ぐっと飲み干し、もう一杯。そこにいた主催者側のお姉ちゃんが、僕の腕の傷を見て びっくりしている。「薬はいるか」というので「これは水で洗って、あとは舐めておけばいい」と答えると「あなたの活躍は、今回のプレスの中で最高だった」 と言ってくれた。
                   
デ・ナシオンは終わった。僕はそのまま車に乗り、チームミタニの車についてコルドバからバルセロナまで1000キロを移動する。小川友幸選手などは「全 部一人で運転するんですか?大変ですね」と同情してくれた。が、荷物も持たず空調の効いた席に座ったまま移動できるなんて、そんな楽なことはない。沈む太 陽から逃げるように、車は東に向かって走り始めた。

スペイン取材顛末記1 22〜23日・出発の日
スペイン取材顛末記2  24日・レディース ワールドカップの日

スペイン取材顛末記3  25日・レディース デ・ナシオンの日

 
HOME