マン島デナシオン日記…今年もやっぱり取材顛末記

【プロローグ】
そもそもはFIMが悪い。
今年も取材に行く予定だったトライアル世界選手権最終戦とデ・ナシオンのうち、最終戦が理由も明かされないまま突如キャンセルになってしまったのである。金銭問題でもめたのか(笑)

今からエアチケットを取り消してもこちらは100パーセントチャージということで、仕方なく無駄に1週間前からデ・ナシオン取材に行く事となった。その顛末記。

9月20日(木)日本からマン島への旅 

手を合わせ拝むようなポーズで客を招き入れる、タイ航空のスチュワーデス。CMで抜群のプロポーションだったのは、フィリピンエアだっけ?しかしタイもなかなか。ロングスカートのせいかウエストが締まって見えるなあ。
でも男の客室乗務員は、紫のジャケットに妙な童顔。こりゃあまるで「キャバレー大東京」のボーイさんではないか(笑)。

こんな形で始まった今回の取材旅行。
今年も一緒に渡欧取材する渡欧になれてる格安の鬼、藤秀(※四半世紀のトライアルジャーナリスト、藤田秀二氏)がブッキングしてくれた、バンコク経由ロンドン行きの飛行機である。値上がった航空燃料代やら空港使用料を入れても10万円ちょっとという費用は、北海道取材より少し高いくらい。
機体はボーイング747ながら、各席にビデオモニターがついておらず少し古いタイプ。バンコクまではおよそ4時間、乗り換えに2時間かけて、そのあとロンドンまで10時間くらい。

バンコク空港は、一度通ったセキュリティーを戻らないとトイレにも行けない設計。出たついでに免税店などをウインドーショッピング。おそらくこの地の神様なのだろう、妙な像や壁画がいっぱいあって楽しめた。中には少女が胸出しで神馬にのっているような絵も。日本ならたちまち幼児ポルノに引っかかってしまうだろうなあ。
 
バンコック空港内の壁画
             

さてようやくロンドン行きの飛行機に。乗り換えるたびに機内食が出てくるけど、今日本は午前4時だぜ。こんな時間に晩飯が食えるか?と言いながらもつい食べてしまう。ワインもいっぱい、タイでは食後にブランデーを飲む習慣があるのだろうか、回ってきたのでそれもいただく。座ったまま次々食べていると自分がブロイラーに思えてくるが、何も仕事しなくても飯が食えるなら、まあそれもいいか。いつもの締め切りに追われたせわしない生活から離れての十数時間を、無為に過ごす贅沢感とでもいうのだろうか。

このままずーっと座ったまま人生が終わってもいいかな、と思い始めた頃、飛行機はロンドンはヒースロー空港に着陸。藤田さんはここからスペインに仕事に行くそうで暫くは別行動。この後は一人でルートを開発しなければいけない。
まずはリバプールに行くバスを探す。バンコクの乗り継ぎ時間に読んだ「地球の歩き方」でバスが便利そうなことを発見したので、そのルートにチャレンジ。なんだか泥縄というか付け焼き刃というかという状態だが、それでもこれが結構当たり!空港の地下道を通ればもうバスターミナルで、切符も問題なく買え、意外と簡単に行った。しかも料金は1万円くらい。藤秀氏が日本で探していた列車便だと2万円、さらに駅までの交通費もかかるらしい。バスだと大きな荷物は預かってくれるので、列車のように盗難に気をつける必要もなく、席も必ずある。これはかなりお得であった。

ただリバプールへの直通はないそうで、バーミンガムまで行って乗り換えることに。10時発のバスは,GPSで測ったところ、高速を100km/hほどで順調に走ってちょうどお昼過ぎにバーミンガムに着いた。乗り換え待ちの間に昼ご飯。ピロシキみたいなパンに水だけだったのに、1200円くらいもした。イギリスの物価は日本の倍ほども高い!

   
             
ロンドンのバスターミナルと 人も車もまばらなバーミンガム市街↑

バスの中で日本の家から、レンタル携帯のノキアに電話が入る。
「ねえ、伊藤理沙(わりと家内がお気に入りのちょいエッチギャグ漫画家)と吉田戦車(わりと僕がお気に入りのしょーもないギャグ漫画家)が結婚したの知ってる?」
うーん、この異国の地ではこれ以上ないくらいピントを外したビッグニュース。
こりゃ狙っても絶対できない見事さであった。

乗り換えたリバプール行きのバスは、隣にビジネスマンのようなお兄さんが。時差ぼけでかなり眠くなっていた僕は「リバプールに着いたら教えてくれ」と言うと、彼もリバプールで降りるそうだ。「Helloは日本語でなんと言う?」なんて話をした。
おかげで無事リバプールまで到着。タクシーでフェリー乗り場に移動だが、ここでも隣にいたおばちゃんに声をかけ、フェリーまでタクシーに相乗り。料金を割り勘にする。
「ドギー・ランプキンを知っているか?偉大なイギリス人チャンピオンだが」と聞くと「えーと、多分知っているわ」と言っていた。
トライアルライダーが町を歩くとサイン攻めにあうというスペインとは違い、イギリスではトライアルはそれほどメジャーではないようである。

港に着き、チケット購入。
もしかして最終フェリーが出てしまっていたら、予約したマン島の宿に1日キャンセルを入れて、リバプールでユースホステルでも探さなければ行けないなあ、と思っていたので、便があってラッキー。
チケットは安くするため往復で買うが、帰りの便まで指定しなくてはいけない。日にちを伝えたら一番早い便がとれてしまった。朝8時発はいくら何でも早すぎるので、あとで変更しなければならないが、そのためには5ポンドかかるらしい。英語圏は初めての取材だが、スペインやイタリアのように相手がこちらにわからせようと話してくれないので、ほとんど聞き取ることができない。
そしてこれはあとから知った事だが、どうもこれはアメリカ英語との違いもあるようだ。
たとえばeightのことをカタカナ英語では「エイト」と言ってこれでスペインもイタリアもフランスでも通じた。少し英語っぽく発音すれば「エイッ」て感じか?でも英語の本場イギリスでは「イート」と言うのが近い。
あとこれまでどこの国でも通じた「レンタカー」と言うと、イギリスでは全員が「what?」となる。どうやらこちらでは「カーレンタル」となっているらしい。

こういう微妙な発音や違いは、もはや素人さんには手が出せない世界だよねえ。

閑話休題、フェリーの往復料金は39ポンドだった。

チケットを買った後指示された方に行くと、なんとフェリーに乗るにもセキュリティーがあった。マン島は独自の通貨や憲法も持つところ。シージャック警戒もあるのだろうが、独立国扱いなのかもしれない。
結局フェリー出航までは1時間以上の余裕があったのだが、セキュリティーから戻ることができず待合室に缶詰。街の風景や船を撮影することもできなかった。
左はまるで移民船のようなフェリー乗り場。右の貴族様とは檻で仕切られる↑
ようやく時間が来て乗船開始。
おおあれがフェリーか。かなりでかいじゃん!と思ったら、舳先には「Queen Erizabes2」の文字。そりゃでかいはずだわ。マン島行きの船はそのすぐとなりだった。
港にはジェットスキーで遊んでいる人が何人もいてびっくり。彼らは出航したフェリー追いかけて延々港の出口まで走って来るではないか。フェリーの波を乗り越えたりジャンプしたり。なんだ、それならトライアルやればもっとおもしろいよ?
             
   

ロンドンに向かう飛行機から見た朝日が夕日になって海に沈む瞬間を見ながら、夕食のピザとビール。船は日本のフェリーの1.5倍ほどの時速60km/h弱で走り、およそ3時間でマン島の中心街、ダグラスに着いた。

しまった、かなり寒い。フェリーの客は車やバスで移動してしまい、桟橋はどんどん淋しくなっていく。予約してあるB&Bまでタクシーで移動するしかないのだが、全然来ない。どうやらこちらは流しを待つより電話で呼び出すのがセオリーのようであるが、タクシー屋の番号がわかるはずもない。体が冷えながら待っていたら、どこかのおじさんが、自分達が呼んだタクシーに同乗させてくれた。まあしっかり代金は払ったけどね。
とうわけでようやく宿に到着。4階までスーツケースをあげるのは大変だったけど、なかなかいい部屋。早速、当然のようにあったストーブをつける。寒さ対策は明日考えよう。

9月22日23日「マン島で過ごした日」へ…